7月4日というとアメリカの独立記念日。
この数字を聞くと僕はいつも大学のゼミの飲み会で、
ゼミの同期が「オレの誕生日は独立記念日なんだぜ」
というのに対し、
「オレの誕生日はゴルバチョフと一緒だけど」
と切り返した僕の横から先生が
「私はゴルバチョフと同い年だ」
とさらに切り返されたことが思い出されます。
幼稚園から高校まで、師と仰ぐべき人に出会えなかった僕にとって、初めて出会えた師でした。
そのため昨年亡くなられた際には、人生の羅針盤を失った思いでした。
今でも先生の教え(出来の悪い生徒でしたので誤って理解しているかもしれませんが)をもとに船を走らせているつもりなので、苦笑いしつつもどうか見守っていてください。と祈るばかり。
喪失感ということで考えると、幸いなことに僕の両親は健在なことにいまさらながら、とても感謝するようになった。
ただ、生きて存在してくれているだけで、死というものから守られて暮らしていける。
そういう思いを抱くようになったのは、先生の死が契機だったのだと思う。
そして、同時に僕の子供たちにとって僕が生きていることだけで何かの防波堤になることがあるんだろうなと思うようになり、
子供たちの独立記念日がいつになるのかわからないけれど、その日まで彼らを守って暮らしていくことをあらためて決意するのが、今年の7月4日でした。
今日の彼らは、相変わらずのひどい寝相ながらすやすや寝ている。
この安心しきった眠りを壊さないよう、僕は今日も仕事に励むのだ。
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